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成長期の情報をかき集めました。

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住むなら田舎と言いたいところだが…田舎に夢があったのは昭和までまだ若い頃の話ですが…1960〜70年代の高度成長期。慢性人手不足でどうにもならない忙しさの日々が延々と続く。殆どの人はこんな生活から早く抜け出したいと願っておりました。しかし、皆さん住宅ローンやら車のローン、お子さんの学費の工面やらで身動きが取れず。東京の人は家があって家賃やローンがないのが羨ましくて仕方がなかったものです。どうにもならなくなったら国へ帰って百姓をやろう…これが田舎のある人たちの愚痴の決まり台詞でした。現に、体を壊したりして田舎へUターンする人が何人もおりました。私のような地方出身者にとっては、田舎は無くてはならない避難場所だったのです。そう。かつての週刊新潮、谷口六郎氏によるノスタルジックな絵柄のイメージです。戦後復興は疎開先あるいは食料供給源としての農村パワーあればこそ可能であったことを肝に銘じるべきだ。今、もし戦争が起きたとしたらキミはどこに逃げる?今はどうかって?…言わずもがなとはこのこと。田舎帰ったって食っていけるわけがありませんよ。キーワードは「大資本独占」…地方の最盛期は田中角栄内閣(1972〜74)の時代。金沢、富山など地方都市の繁華街が沸き返っていた記憶があります。しかしそれもわずかな期間のみで、大資本による地方産業の下請化が急進行。小売業も大手デパート・スーパーが進出して地元商店を潰してしまう。農業も輸入食料など大資本流通網には太刀打ち出来ず、衰退の一途をたどる。さらに町村合併による「予算配分効率化」により金にならない地域は切り捨てられる。かくして農村から人がいなくなる。学校も幼稚園も、郵便局も銀行もなくなる。「過疎」という言葉を使うなだと?総務省の有識者懇談会が、人口減少が進む地域を指す「過疎」に代わる用語を検討するそうな。過疎どころか消滅していくのが実態だというのに、有識者が聞いて呆れます。「令和地域」とでも呼びますか。いや、「今際の里」がピッタシだろう。みんなの回答を見る
住むならやっぱり都会。しかし、東京は過密すぎる。「都」は大阪に移して、東京は首都返上。こじんまりと縮小すべきだ。最後に一言。田舎ってのはね。たとえ貧しくて無一文でも食うに困らない、人の愛と大自然の恵みを享受できる場でなければならぬ。さればこそ、国が栄えるってものよ。権力が農村から生産力を奪うなんて、非常識にもほどがある。ヨソの国では考えられないことです。

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今日のブログは日本中の専業主婦たちが気分を悪くするかもしれないので、主婦の方はあまり読まないほうがいいかもしれない。という前置きからはじまるが、まず現代日本人は平和とか幸せというとどんなイメージを思い浮かべるだろうか?何もせずにボケーッとしていれば何やら平和と幸せが勝手に舞い込んでくるようなイメージを植え付けられていないだろうか。先月のブログで、3年前にもNHKの大河ドラマで「真田丸」が放映されたが、それはちんけな作風の三谷幸喜の脚本なので、よくギャグが飛ぶが、全体的にちんまりしたつまらない男の物語となってしまった。池波正太郎原作の「真田太平記」は、狼の群れと同じ男社会(組織)の掟をきちんと描き、男が本来持っている壮大なロマンと、同じ池波の鬼平犯科帳に見られるような粋な男らしさがテーマとなっている。そこには日本人本来の縄文の呼吸が感じられるのである。と、書いた。→ おれの少年時代の虐待とコラボするのか当然ながら、平和も幸福も何もしないでボケーッとしていて得られることは絶対にない。愛する者たちの平和と幸福を守るためには、血と汗を流しても他国の侵略者は撃退しなければならない。これは個人や家庭でも同じである。言うまでもないが、平和と幸せは人に愛情を尽くしてこそ実現する。人に愛情を尽くすとは、誰かが危険な目に遭っていれば飛び込んで助けることに他ならない。また人の苦しみを見抜けなければならない。そして人の力になれることである。かつて日本列島は日本狼の群れが疾走し、縄文日本人と親しく近い存在であったと考えられる。本来、男の社会の掟とは狼の群れの掟と同じだからだ。やがて弥生時代から現代に至る流れの中で日本狼は絶滅してしまったが、もし男が狼と同じような嗅覚・直感力・瞬発力を失ってしまったら、危険な目に遭っている友のために飛び込むことができるだろうか。人の苦しみを見抜くこともできるだろうか。力になれるだろうか。男としての愛情の発露ができないのではないか。大人の男たちが本物の狼なら、社会には争いもいじめも虐待も発生する余地がないのである。広島大学や岡山大学をはじめとする研究成果から縄文日本人は互いに争うことのない平和で幸福な民族であったことが明らかになってきたが、それは縄文日本人が何もせずにボケーッとしていたということではない、ということだ。縄文日本人が平和で幸福だったということは、誰かが危険な目に遭っていれば飛び込んで助ける瞬発力があったということであり、人の苦しみを見抜けたということであり、そして人の力になれたということなのである。人に愛情を尽くすことができたのである。それは、縄文日本人が日本の狼のような直観力と力強さを持っていたからこそ平和で愛に溢れた社会を維持できたということに他ならない。だからこそ縄文日本人は1万7千年にもわたって何者の侵略も許さなかったのである。その縄文日本人が2300年前に天皇家などのアホな弥生人に侵略されたのは、そのころに縄文日本人は何らかの理由で狼としての本能を失っていたからだと考えるべきだ。ところが、大阪大学准教授の深尾葉子によると、現代日本の男たちは狼の本能を失ったどころか、カエル男に成り下がっているのだという。ここからが問題である。深尾葉子は語る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タガメという水生の昆虫がいます。体長5~6cmで、クワガタの角のような大きな鎌状の前足を持っています。タガメは水田などで土の中に身を潜めてじっと獲物を待ち構え、カエルなどが近くにやってくるとガバッと飛びついてその鎌状の前足でガッチリ挟み込み、鋭い注射針のような嘴を刺して消化液を注入します。カエルも当初はバタバタと必死にもがきますが、タガメの締め付けは半端ではなく、そのうち注入された消化液によって体内を溶かされ、肉をチューチューと吸われて絶命するのです。最後は吸い尽くされて骨と皮しか残りません。これって現代日本の夫婦の関係にそっくりじゃないでしょうか。女はガッチリ男を捕まえて、月1万円という小遣いで身動きが取れないようにし、チューチューと夫の収入と社会的地位などを吸い尽くします。男たちはといえば、最初はバタバタともがきますがやがてあきらめてグッタリして、ゆっくりと収入やリソースを吸い尽くされ、最後は骨と皮になって死んでいく。似ているのは捕食方法だけではありません。男性に養われるとはつまり男性の収入とリソースを食い尽くすことで、そのためには男性の自由を奪ってガッチリと家庭に縛りつけなければなりません。つまりタガをはめるわけです。(中略)世の中にはこのようなタガメ女があふれ、カエルのような男を捕食し、ゆっくりと死に至らしめている、という「恐ろしい現実」に気づいてしまった私(深尾葉子)は、さっそくこの概念を周囲の人々や学生たちに伝えてみました。すると、「私の友だち、何匹ものカエルを吸いまくっている最強のタガメ女です!」「あいつはカエル男や! いや、あいつもそうや!」「もしかしたら私もタガメ女かもしれません・・・」「あかん。おれの父ちゃん、カエル男や・・・」・・・と、多くの人が心のどこかで感じていた根源的な人間関係だということが次々に明らかになったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それから深尾葉子は10年にわたって綿密な研究と検証を積み重ね、名著「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」を出版した。丹念に読めばなるほどその通りだと納得せざるを得ない。日本の男がカエル男に成り下がった背景としてタガメ女という存在が明らかになってきたのである。いや、これは逆なのだ。日本の男がカエル男に成り下がったために、タガメ女が登場してきたともいえる。さらに言えば、日本人がタガをかけるという呪縛に陥っているのである。このタガメ女とカエル男は、いつごろ、どのようにして登場し、タガメ女がカエル男を餌にするようになったのか。深尾葉子は語る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タガメ女とカエル男がこの日本で増殖し始めたのは高度経済成長期です。戦後、日本は急激な経済成長を遂げていくなかで、農業国から工業国へと変貌していきました。そのプロセスを通して、男性たちは農家に生まれても家を継がずに大都市にやってきて工場や企業に「雇われる」という生き方を選び始めます。サラリーマンの登場です。このようなサラリーマンが世の中に増えれば増えるほど、逆に減っていった労働者がいます。女性労働者です。いったいどこへ消えてしまったかというと、サラリーマンと結婚して専業主婦になったのです。(中略)かつて農家や商店などのファミリービジネスが日本の産業の中心だったころは、主婦は朝の暗いうちから起きて家族の世話をし、子どもを負ぶって田畑に出て、家族と一緒に耕し、作物を収穫し、育児をしながら、洗濯板で洗濯し、薪で火をおこして炊事をして、夜遅くまで夜なべをしていたのです。それに比べれば戦後登場した専業主婦というのは遊んでいるようなものです。労働をすべて放棄して家事と育児のみにいそしみ、しかもその家事・育児も洗濯機や掃除機や冷蔵庫が登場して戦前とは比べものにならないくらい楽になったのです。事実、戦前の女性たちから見ればこの専業主婦という人々は明らかに異様に映りました。タガメ女たちは敏感にそれを察知して、とにかく「育児が大変」「主婦も楽じゃない」というオーラを全身から発散させるようになったのです。このペテンがバレてしまうと、自分たちがじつは驚くほど楽な立場にいて、カエル男である夫の血肉を吸って生きている「害虫」だということが社会的にバレてしまうからです。深尾葉子「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんとも身も蓋もない話になってきたが、さらに深尾葉子によると、それで、楽で時間のあり余っているタガメ女たちは、習い事に夢中になったり、午後はママ友や友人たちと会ってお茶を飲んだり、クリスマスやいろいろな記念日やディズニーランドなどのイベントをたくさん入れて(実際は遊んでいるだけだが)忙しさを演出し、夫や家族には「忙しい」というウソにウソを塗り固めている。しかしそのタガメ女も逆にママ友地獄というタガにはめられてもがき苦しんでおり、また夫たちが反逆して他の女へと走り、その楽な地位を奪われないようにと細心の注意を払っていなければならない。もはや結婚が愛のためというのは幻想で、結婚の実態はタガメ女たちの熾烈な生存競争である、と分析している。深尾は最後に、タガメ女やカエル男にならないための秘訣として、「一人一人が自分の頭で考えて、自分の魂と向き合って正直に生きる」ことを薦めている。この最後の言葉は素晴らしい核心だ。さて、ここまでが深尾葉子の「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」の内容であるが、おれの話はここで終わりではない。これからが本論である。ネットを見ると、この深尾葉子「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」の読者たちから、「タガメ女を退治しろ!」とか「深尾先生を中心にしてタガメ女を暴く会を作ろう!」なんていう記事や書き込みが山のように出てくる。しかしそんなことをわめいている連中は間違いなくカエル男なのだ。世の中には黙ってニヤニヤしながらこのタガメ女たちを巧妙に罠にはめて、じつにうまくタガメ女たちから金や労力や性を際限なく吸い上げている輩もウヨウヨいるのだ。もうピンとくると思うが、宗教団体政治家の選挙運動団体暴力団本物の不良芸能マスコミなどなどである。仮にこれらを「吸血鬼」と呼ぶことにすると、カエル男たちから金や社会的リソースをタガメ女がチューチューと吸い続け、そのタガメ女たちから金や性や労力を吸血鬼が際限なく吸い続けているわけだ。しかし、ご注意!おれは男たちにカエル男から吸血鬼に変貌せよなどと言っているのではない。日本人の魂、縄文日本の狼の魂に目覚めよと言っているのである。かく言うおれは離婚の道を選んだ。つい数年前のことだ。当時はタガメ女という言葉は知らなかったが、後になってこの本を読むと元女房は間違いなくタガメ女であった。自分はほとんど暇を持て余しながら夫を縛りつけて吸い尽くすことだけに専念し、ウソにウソを塗り固めて生きていた。子供が成人するまではと我慢を重ねた結婚生活は、とにかく家庭にいると腹が立ち、怒りがこみあげてくる。それでずっと半別居を続けた。もっともおれは若い時から黒のベンツを乗り回し、堅気の事業家であるにもかかわらず政財界のフィクサーと交友し、ときには暴力団や右翼とも抗争し、常時複数の恋人がいるようなろくでもないヤツだったから、タガメ女としては疲れ切ったのではないかと思う。それでも彼女はタガメ女同士のお茶会などの情報交換から 「夫を縛って吸い尽くせなければ専業主婦失格」 とさえ思い込んでいた節があった。それが離婚したらどうなったかというと、彼女が陥っていたタガメ女の呪縛がきれいに解けたのだ。いまは息子や娘も驚くほど、ものすごく仲良くなったのである。いまでも月に一度、子どもたちの教育方針の確認のために会うが、彼女は当時では考えられないほどの心からのもてなしぶりで、恋人時代のように会うのを心待ちにしているのがわかる。おれも当時のような怒りがきれいになくなったのだ。まあ、息子名義で億ションを残してきたし、息子は最高に母親孝行だ。いまおれの会社に通って懸命に事業家の修業をしている。彼女は相変わらず友達とのおしゃべりや趣味や映画に一日のほとんどを費やしているが、タガメ女だったころに比べると心の底から自由で生き生きしているのである。閑話休題!日本狼の魂の話である。大人の男たちが本物の狼なら争いもいじめも虐待も発生する余地がないのだ。本物の狼なら、宗教団体も、政治家の選挙運動も、暴力団も、不良も、芸能マスコミも、みな返り討ちにできる。人間どうせ死ぬのだ。何もいらないではないか。吸血鬼どもを道連れにして地獄に落ちろ。刺し違えて死んで戦え! 日本の男たちよ、日本の狼の本能を呼び覚ませ。本物の狼に戻れ。日本の女たちよ、タガメ女なんていうくだらない不幸な生き方はやめて、本物の狼の妻であれ。

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