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成長期

お買い得!!人気の成長期がココに集結

さて、じゃあなにを買おうかな。スーパーの明るい通路。色とりどりの野菜たち。なにかテンションあがるんだよね。

理佐の少し前を歩いていた平手が振り返る

「グリンピース...きらい...」

「はいはい知ってるよー」

「野菜要らなくない?」

「バランスよく食べないと成長期なんだからさー」

「ふーん」

再び、野菜棚を興味なさげに眺めながら歩いている。

この子結構好き嫌い多いんだよね。まあ中学生なんてそんなものかなwちょっと食生活が心配にもなるけどね。

精肉コーナーに入ると試食が出ていて、元気そうなお姉さんにウインナーを勧められた。久しぶりに試食なんて見た。大きなスーパーはいいな。家の近くのスーパーでは見たことがない。

つまようじの先に刺さった一口大のそれをひとつもらって平手さんに差し出す。
熱さを恐れてか、恐る恐る前歯で掴もうとしてる。

「どう?」

平手さんはもぐもぐしながら小さく頷いていた。うん。美味しいってことか。まあ美味しくないウインナーってそんなにないような気もするけどさ。笑

「先生は?」

その時、一瞬お店の人が不思議そうな顔をしていたのに気づいた。
あ...そうか。いくらなんでも親子とは思わないでしょうけど...

「お姉さんもどうぞ」

お礼を言ってから試食をいただくと、薫製の風味が鼻に抜ける。パリッとした歯応えはいいね。
チキンライスにいれるのウインナーでもいいかもしれないし、ひとつ買っていこう。

理佐は背中でお礼を聞きながら手にした商品をかごに入れた。
そしてふと思った。

ん...あ...もしかしてこれ、平手さんが男の子だったらなにかちょっと後ろめたくなってしまうシチュエーションなの...?
初めて気がついた...。

でも...別に後ろめたいところもないし...まあいいけどね。

それでもほんのすこし気になって卵を手に取りながら平手さんに振り返った。

「ねぇ、外で先生呼ばれるの説明がめんどくさいから変えない?w」

「いいよ。じゃあ理佐」

棚を悠々と眺めたまま秒で返すのそれかい。

「まてまて、渡邉さんでしょ」

「え。理佐のが呼びやすいし」

「渡邉さん」

「理佐いい名前じゃない」

「年上の人を名前呼び捨てはないでしょw」

「なんで?英語の先生みんなマットって呼んでるじゃん」

「え...あ...それは...」

「理佐よりも年上でしょ?理佐もそう呼んでるよね」

「もう...どっからそんなにへりくつ出てくるの?」

「へりくつってなに。」

「はぁ...わかったわかった。まったくもぅ...。でも学校ではだめだからね」

「何でなのかわかんないけど、わかった。」

「ったくもう」

「ね、理佐アイス買っていい?」

「はいはい...」

「やった!」

一瞬走り出しそうになる平手さんを止めなきゃと思ったと同時に、手に響いたのかはわからないけど、結局スピードを落としてアイスケースに向かいながら、彼女はこちらに振り返った。

「あ、私も友梨奈でいいよ」

「えっ、そんな急に呼び方変えられないよw」

「ふーん。そんなものなのかな。」

特に興味もなさそうな平手さん。友梨奈か...綺麗な名前だよね。
自分は渡邉って名字は確かにそんなに好きではないけど、平手友梨奈っていうのは響きがいいなとは思った。

「私なんでもいいけど、先生が不思議に見えるなら平手さんも不思議なんじゃないの?」

「う....」

「え?なに?」

なんか変なところするどいのはなんなんだろうね。

「...ホントに中学生だよね?」

「だと思うけど...違うことってあるの?w」

口許に笑みを浮かべて...こやつ...後ろ向きで歩きながら転んだらどうすんの
物事を知らないようで、それでいて油断するとドキリとさせられる。今時の子供ってこういうもの?

「マセガキめ...転ばないでよ?」

「なにいってんのかわかんない。早くいこ。お腹へったよー」

右手をとられて引かれていくなんだかなめられてるなw ったくさぁ

そうして急かされながら買い物を済ませ、手早くオムライスをつくり、ここでほっぺたをリスのように膨らませた少女を見ているわけだ。
「美味しい」

「そりゃ病院で食べないからお腹減ってたんでしょw」

「理佐のが美味しい」

「まあ...ありがとうw」

「私玉子薄く焼けないんだ」

「ああね。水とき片栗粉いれると破れにくいって聞いたよ」

「へぇ...使ったの?」

「今日は使ってないけどw」

「そうなんだ」

「ケチャップついてる」

「どこ?」

「逆逆」

あーもう、じれったくなって手を伸ばしてその口元を拭いた。

「お子さまか」

「そうだよー」
そしてあの子はにっこりと笑った
見たこともない満面の笑みで
つづく

成長期 丸くは、ならない。

今日のブログは日本中の専業主婦たちが気分を悪くするかもしれないので、主婦の方はあまり読まないほうがいいかもしれない。という前置きからはじまるが、まず現代日本人は平和とか幸せというとどんなイメージを思い浮かべるだろうか?何もせずにボケーッとしていれば何やら平和と幸せが勝手に舞い込んでくるようなイメージを植え付けられていないだろうか。先月のブログで、3年前にもNHKの大河ドラマで「真田丸」が放映されたが、それはちんけな作風の三谷幸喜の脚本なので、よくギャグが飛ぶが、全体的にちんまりしたつまらない男の物語となってしまった。池波正太郎原作の「真田太平記」は、狼の群れと同じ男社会(組織)の掟をきちんと描き、男が本来持っている壮大なロマンと、同じ池波の鬼平犯科帳に見られるような粋な男らしさがテーマとなっている。そこには日本人本来の縄文の呼吸が感じられるのである。と、書いた。→ おれの少年時代の虐待とコラボするのか当然ながら、平和も幸福も何もしないでボケーッとしていて得られることは絶対にない。愛する者たちの平和と幸福を守るためには、血と汗を流しても他国の侵略者は撃退しなければならない。これは個人や家庭でも同じである。言うまでもないが、平和と幸せは人に愛情を尽くしてこそ実現する。人に愛情を尽くすとは、誰かが危険な目に遭っていれば飛び込んで助けることに他ならない。また人の苦しみを見抜けなければならない。そして人の力になれることである。かつて日本列島は日本狼の群れが疾走し、縄文日本人と親しく近い存在であったと考えられる。本来、男の社会の掟とは狼の群れの掟と同じだからだ。やがて弥生時代から現代に至る流れの中で日本狼は絶滅してしまったが、もし男が狼と同じような嗅覚・直感力・瞬発力を失ってしまったら、危険な目に遭っている友のために飛び込むことができるだろうか。人の苦しみを見抜くこともできるだろうか。力になれるだろうか。男としての愛情の発露ができないのではないか。大人の男たちが本物の狼なら、社会には争いもいじめも虐待も発生する余地がないのである。広島大学や岡山大学をはじめとする研究成果から縄文日本人は互いに争うことのない平和で幸福な民族であったことが明らかになってきたが、それは縄文日本人が何もせずにボケーッとしていたということではない、ということだ。縄文日本人が平和で幸福だったということは、誰かが危険な目に遭っていれば飛び込んで助ける瞬発力があったということであり、人の苦しみを見抜けたということであり、そして人の力になれたということなのである。人に愛情を尽くすことができたのである。それは、縄文日本人が日本の狼のような直観力と力強さを持っていたからこそ平和で愛に溢れた社会を維持できたということに他ならない。だからこそ縄文日本人は1万7千年にもわたって何者の侵略も許さなかったのである。その縄文日本人が2300年前に天皇家などのアホな弥生人に侵略されたのは、そのころに縄文日本人は何らかの理由で狼としての本能を失っていたからだと考えるべきだ。ところが、大阪大学准教授の深尾葉子によると、現代日本の男たちは狼の本能を失ったどころか、カエル男に成り下がっているのだという。ここからが問題である。深尾葉子は語る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タガメという水生の昆虫がいます。体長5~6cmで、クワガタの角のような大きな鎌状の前足を持っています。タガメは水田などで土の中に身を潜めてじっと獲物を待ち構え、カエルなどが近くにやってくるとガバッと飛びついてその鎌状の前足でガッチリ挟み込み、鋭い注射針のような嘴を刺して消化液を注入します。カエルも当初はバタバタと必死にもがきますが、タガメの締め付けは半端ではなく、そのうち注入された消化液によって体内を溶かされ、肉をチューチューと吸われて絶命するのです。最後は吸い尽くされて骨と皮しか残りません。これって現代日本の夫婦の関係にそっくりじゃないでしょうか。女はガッチリ男を捕まえて、月1万円という小遣いで身動きが取れないようにし、チューチューと夫の収入と社会的地位などを吸い尽くします。男たちはといえば、最初はバタバタともがきますがやがてあきらめてグッタリして、ゆっくりと収入やリソースを吸い尽くされ、最後は骨と皮になって死んでいく。似ているのは捕食方法だけではありません。男性に養われるとはつまり男性の収入とリソースを食い尽くすことで、そのためには男性の自由を奪ってガッチリと家庭に縛りつけなければなりません。つまりタガをはめるわけです。(中略)世の中にはこのようなタガメ女があふれ、カエルのような男を捕食し、ゆっくりと死に至らしめている、という「恐ろしい現実」に気づいてしまった私(深尾葉子)は、さっそくこの概念を周囲の人々や学生たちに伝えてみました。すると、「私の友だち、何匹ものカエルを吸いまくっている最強のタガメ女です!」「あいつはカエル男や! いや、あいつもそうや!」「もしかしたら私もタガメ女かもしれません・・・」「あかん。おれの父ちゃん、カエル男や・・・」・・・と、多くの人が心のどこかで感じていた根源的な人間関係だということが次々に明らかになったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それから深尾葉子は10年にわたって綿密な研究と検証を積み重ね、名著「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」を出版した。丹念に読めばなるほどその通りだと納得せざるを得ない。日本の男がカエル男に成り下がった背景としてタガメ女という存在が明らかになってきたのである。いや、これは逆なのだ。日本の男がカエル男に成り下がったために、タガメ女が登場してきたともいえる。さらに言えば、日本人がタガをかけるという呪縛に陥っているのである。このタガメ女とカエル男は、いつごろ、どのようにして登場し、タガメ女がカエル男を餌にするようになったのか。深尾葉子は語る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タガメ女とカエル男がこの日本で増殖し始めたのは高度経済成長期です。戦後、日本は急激な経済成長を遂げていくなかで、農業国から工業国へと変貌していきました。そのプロセスを通して、男性たちは農家に生まれても家を継がずに大都市にやってきて工場や企業に「雇われる」という生き方を選び始めます。サラリーマンの登場です。このようなサラリーマンが世の中に増えれば増えるほど、逆に減っていった労働者がいます。女性労働者です。いったいどこへ消えてしまったかというと、サラリーマンと結婚して専業主婦になったのです。(中略)かつて農家や商店などのファミリービジネスが日本の産業の中心だったころは、主婦は朝の暗いうちから起きて家族の世話をし、子どもを負ぶって田畑に出て、家族と一緒に耕し、作物を収穫し、育児をしながら、洗濯板で洗濯し、薪で火をおこして炊事をして、夜遅くまで夜なべをしていたのです。それに比べれば戦後登場した専業主婦というのは遊んでいるようなものです。労働をすべて放棄して家事と育児のみにいそしみ、しかもその家事・育児も洗濯機や掃除機や冷蔵庫が登場して戦前とは比べものにならないくらい楽になったのです。事実、戦前の女性たちから見ればこの専業主婦という人々は明らかに異様に映りました。タガメ女たちは敏感にそれを察知して、とにかく「育児が大変」「主婦も楽じゃない」というオーラを全身から発散させるようになったのです。このペテンがバレてしまうと、自分たちがじつは驚くほど楽な立場にいて、カエル男である夫の血肉を吸って生きている「害虫」だということが社会的にバレてしまうからです。深尾葉子「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんとも身も蓋もない話になってきたが、さらに深尾葉子によると、それで、楽で時間のあり余っているタガメ女たちは、習い事に夢中になったり、午後はママ友や友人たちと会ってお茶を飲んだり、クリスマスやいろいろな記念日やディズニーランドなどのイベントをたくさん入れて(実際は遊んでいるだけだが)忙しさを演出し、夫や家族には「忙しい」というウソにウソを塗り固めている。しかしそのタガメ女も逆にママ友地獄というタガにはめられてもがき苦しんでおり、また夫たちが反逆して他の女へと走り、その楽な地位を奪われないようにと細心の注意を払っていなければならない。もはや結婚が愛のためというのは幻想で、結婚の実態はタガメ女たちの熾烈な生存競争である、と分析している。深尾は最後に、タガメ女やカエル男にならないための秘訣として、「一人一人が自分の頭で考えて、自分の魂と向き合って正直に生きる」ことを薦めている。この最後の言葉は素晴らしい核心だ。さて、ここまでが深尾葉子の「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」の内容であるが、おれの話はここで終わりではない。これからが本論である。ネットを見ると、この深尾葉子「日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体」の読者たちから、「タガメ女を退治しろ!」とか「深尾先生を中心にしてタガメ女を暴く会を作ろう!」なんていう記事や書き込みが山のように出てくる。しかしそんなことをわめいている連中は間違いなくカエル男なのだ。世の中には黙ってニヤニヤしながらこのタガメ女たちを巧妙に罠にはめて、じつにうまくタガメ女たちから金や労力や性を際限なく吸い上げている輩もウヨウヨいるのだ。もうピンとくると思うが、宗教団体政治家の選挙運動団体暴力団本物の不良芸能マスコミなどなどである。仮にこれらを「吸血鬼」と呼ぶことにすると、カエル男たちから金や社会的リソースをタガメ女がチューチューと吸い続け、そのタガメ女たちから金や性や労力を吸血鬼が際限なく吸い続けているわけだ。しかし、ご注意!おれは男たちにカエル男から吸血鬼に変貌せよなどと言っているのではない。日本人の魂、縄文日本の狼の魂に目覚めよと言っているのである。かく言うおれは離婚の道を選んだ。つい数年前のことだ。当時はタガメ女という言葉は知らなかったが、後になってこの本を読むと元女房は間違いなくタガメ女であった。自分はほとんど暇を持て余しながら夫を縛りつけて吸い尽くすことだけに専念し、ウソにウソを塗り固めて生きていた。子供が成人するまではと我慢を重ねた結婚生活は、とにかく家庭にいると腹が立ち、怒りがこみあげてくる。それでずっと半別居を続けた。もっともおれは若い時から黒のベンツを乗り回し、堅気の事業家であるにもかかわらず政財界のフィクサーと交友し、ときには暴力団や右翼とも抗争し、常時複数の恋人がいるようなろくでもないヤツだったから、タガメ女としては疲れ切ったのではないかと思う。それでも彼女はタガメ女同士のお茶会などの情報交換から 「夫を縛って吸い尽くせなければ専業主婦失格」 とさえ思い込んでいた節があった。それが離婚したらどうなったかというと、彼女が陥っていたタガメ女の呪縛がきれいに解けたのだ。いまは息子や娘も驚くほど、ものすごく仲良くなったのである。いまでも月に一度、子どもたちの教育方針の確認のために会うが、彼女は当時では考えられないほどの心からのもてなしぶりで、恋人時代のように会うのを心待ちにしているのがわかる。おれも当時のような怒りがきれいになくなったのだ。まあ、息子名義で億ションを残してきたし、息子は最高に母親孝行だ。いまおれの会社に通って懸命に事業家の修業をしている。彼女は相変わらず友達とのおしゃべりや趣味や映画に一日のほとんどを費やしているが、タガメ女だったころに比べると心の底から自由で生き生きしているのである。閑話休題!日本狼の魂の話である。大人の男たちが本物の狼なら争いもいじめも虐待も発生する余地がないのだ。本物の狼なら、宗教団体も、政治家の選挙運動も、暴力団も、不良も、芸能マスコミも、みな返り討ちにできる。人間どうせ死ぬのだ。何もいらないではないか。吸血鬼どもを道連れにして地獄に落ちろ。刺し違えて死んで戦え! 日本の男たちよ、日本の狼の本能を呼び覚ませ。本物の狼に戻れ。日本の女たちよ、タガメ女なんていうくだらない不幸な生き方はやめて、本物の狼の妻であれ。

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