涼宮ハルヒの成長期

成長期

愛と憎しみの成長期

理由がわからないまま、頭痛で起きられない次男。これまでどんな早朝でも自分から飛び起きて部活に出かけていたのに…そう思うと、気持ちの影響を考えた。
だが、嘘をついてまで学校を休むようなことはしない真っ直ぐな子だということも確信がある。
痛がっている時は真っ青な顔になっている。
あちこちの病院に行ったが、私が幼い頃から知っているおじいちゃまドクターが「成長期にそういう頭痛があるよ。しばらくすれば治ってくるから、あまり心配せず動ける時に動けばいい」と温かい見立てを繰り返してくださった。後々のことから、これが実は一番正しい見立てでもあった。それはこの時わからなかったが、とにかく本人も私もその言葉に心を救われた。頑張ろうねと話し合った。
しかしモラハラ夫はその見立を聞こうとしなかった。
毎朝出勤前に
「何を怠けとんのや!」「甘えているんだろう!ええ加減にせんか!」と関西弁になり、布団の中の次男に激烈な怒りをぶつけはじめた。
夕方少し元気になった次男が起きてきて、兄弟たちといるところへモラハラ夫が帰宅しようものなら「学校を休んだくせにゲラゲラ笑っていやがる!どういうつもりだ!!」と大声で怒鳴った。
家の中で笑顔になることを皆が避けはじめた。

知ってたか? 成長期は堕天使の象徴なんだぜ

住むなら田舎と言いたいところだが…田舎に夢があったのは昭和までまだ若い頃の話ですが…1960〜70年代の高度成長期。慢性人手不足でどうにもならない忙しさの日々が延々と続く。殆どの人はこんな生活から早く抜け出したいと願っておりました。しかし、皆さん住宅ローンやら車のローン、お子さんの学費の工面やらで身動きが取れず。東京の人は家があって家賃やローンがないのが羨ましくて仕方がなかったものです。どうにもならなくなったら国へ帰って百姓をやろう…これが田舎のある人たちの愚痴の決まり台詞でした。現に、体を壊したりして田舎へUターンする人が何人もおりました。私のような地方出身者にとっては、田舎は無くてはならない避難場所だったのです。そう。かつての週刊新潮、谷口六郎氏によるノスタルジックな絵柄のイメージです。戦後復興は疎開先あるいは食料供給源としての農村パワーあればこそ可能であったことを肝に銘じるべきだ。今、もし戦争が起きたとしたらキミはどこに逃げる?今はどうかって?…言わずもがなとはこのこと。田舎帰ったって食っていけるわけがありませんよ。キーワードは「大資本独占」…地方の最盛期は田中角栄内閣(1972〜74)の時代。金沢、富山など地方都市の繁華街が沸き返っていた記憶があります。しかしそれもわずかな期間のみで、大資本による地方産業の下請化が急進行。小売業も大手デパート・スーパーが進出して地元商店を潰してしまう。農業も輸入食料など大資本流通網には太刀打ち出来ず、衰退の一途をたどる。さらに町村合併による「予算配分効率化」により金にならない地域は切り捨てられる。かくして農村から人がいなくなる。学校も幼稚園も、郵便局も銀行もなくなる。「過疎」という言葉を使うなだと?総務省の有識者懇談会が、人口減少が進む地域を指す「過疎」に代わる用語を検討するそうな。過疎どころか消滅していくのが実態だというのに、有識者が聞いて呆れます。「令和地域」とでも呼びますか。いや、「今際の里」がピッタシだろう。みんなの回答を見る
住むならやっぱり都会。しかし、東京は過密すぎる。「都」は大阪に移して、東京は首都返上。こじんまりと縮小すべきだ。最後に一言。田舎ってのはね。たとえ貧しくて無一文でも食うに困らない、人の愛と大自然の恵みを享受できる場でなければならぬ。さればこそ、国が栄えるってものよ。権力が農村から生産力を奪うなんて、非常識にもほどがある。ヨソの国では考えられないことです。

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